益田市議会 2020-12-08 12月08日-04号
30年前の三宅御土居跡保存運動を契機に、中世遺跡の発掘調査や中世文書の調査研究が進み、その結果、七尾城、三宅御土居、中須東原の中世3遺跡が国史跡となり、グラントワでは益田家文書里帰り展、石見の戦国武将展など研究成果が披露され、大きな足跡を残してきました。私は、日本遺産認定はその集大成だと思います。
30年前の三宅御土居跡保存運動を契機に、中世遺跡の発掘調査や中世文書の調査研究が進み、その結果、七尾城、三宅御土居、中須東原の中世3遺跡が国史跡となり、グラントワでは益田家文書里帰り展、石見の戦国武将展など研究成果が披露され、大きな足跡を残してきました。私は、日本遺産認定はその集大成だと思います。
七尾城のお話を壇上でもいたしましたように、七尾城の公有化は第2期事業の後半からというふうに検討ということでなっておりますけども、せめて第1期事業中くらいにでも早めることはできないものなんでしょうか。 ○議長(中島守君) 野村教育部長。
さて、国指定の三宅御土居、七尾城、中須東原遺跡の整備基本計画も策定され、実施段階に入りました。歴史を活かしたまちづくりの方針を今後もまちづくりの大な柱の一つとして引き継ぎ、さらに発展させていくべきと考えますが、市長はどうお考えでしょうか。 ○議長(中島守君) 山本市長。
国指定に関しましては、七尾城の城館跡が先にありました。しかし、東原がその後国指定になった後に、整備計画そのものは東原のほうが先にできております。優先順位の後先というのは非常につけにくいとは思うんですが、この辺は教育委員会の中ではどのようなつけ方をされているのかを確認します。 ○副議長(永見おしえ君) 野村教育部長。
医光寺を初め萬福寺、天石勝神社、七尾城館跡、グラントワ、益田市歴史民俗資料館、三宅御土居跡、雪舟の郷記念館、大喜庵、柿本神社、県立万葉公園、蟠竜湖県立自然公園、ひだまりパークみと、水仙公園、匹見峡を中心とした西中国山地国定公園、登山、山歩き、山菜採り、ヤマメ釣り、森林セラピー、弥生時代の古墳群、二川の双川峡、養老の滝、美都の自然の森、また水質日本一に何度も選ばれた清流高津川、いかだ流しも行われています
◆8番(和田昌展君) いろいろ今充実して取り組んでおられること、それからとりわけいわゆる三宅御土居を中心とした、七尾城を中心とした地域の皆さん方にも、この基本構想をめぐっては、ここからもう一歩また具体に動き始めるという期待感が私は大きいと思っておりますから、教育長がおっしゃったように、他の市町村にないものもあるということで、継続をして、これは市長の言葉ですけども、継続をして頑張るということがよくわかりましたので
七尾城も含めまして城館跡の整備活用を今後どのように進めていくお考えであるのか、整備活用の進め方、方策についてお尋ねをいたします。 ○議長(佐々木惠二君) 川原教育部長。 ◎教育部長(川原敏之君) それでは、私のほうから基本的な進め方について御説明申し上げます。
◆12番(久城恵治君) それともう一つ、国指定に関することなんですけど、七尾城の国指定に伴って範囲が指定されてますので、なかなかその指定範囲にある住居をお持ちの方が高齢化あるいは亡くなられたりということで、今その家の建てかえであるとか移転であるとか、そういうことが声として上がってきてるわけなんですけども、こういった国指定の場所においてのそういった声が上がったときにはどのように対処されてますでしょうか
中須東原・沖手遺跡の益田川河口から今市船着き場、そして三宅御土居、七尾城を結ぶ益田川沿いの水辺景観の保全を景観計画に盛り込むことはできないでしょうか。川土手を中世ロードとしてサイクリングコースに整備することも考えられます。
特に中世の歴史文化のまちづくりに対しては、益田氏城館跡の三宅御土居、七尾城について、これまで私も幾度も質問いたしておりますけども、益田市、そして益田市教育委員会、そして担当課、またこれに関する地域住民の皆様、もう既に新築移転をされておられる方々、また中心であるお寺、泉光寺を含めお墓の関係者、また中心であるこういった皆様に相当な今まで御負担と御協力をいただいてきているのも現実でございます。
◆12番(久城恵治君) それと、いわゆる先ほども話しました三宅御土居、七尾城といった今までの国指定に関しましても、事業は進捗しておりますけど、今後のどういったビジョンでやっていくんかと、最終的にはどのようにしたいのかっていうのは、皆様の胸のうちにはあるけども、具体的にはなってないんですね。
七尾城から俯瞰した中世の城下町、つまりこちらは政治活動の場なんです。で、こちらのイラストは河口域の港湾、中須西原、そして東原遺跡の周辺を描いた河口域の港湾都市のイラストです。つまり、こちらは経済活動の場です。上流の政治活動の場と、そして下流の経済活動の場、つまりこれまでは上流の半分しか見えていなかったのですが、この近年の発掘によって、河口部の経済活動の部分も姿をあらわしてきたわけです。
これは都茂や、あと上久々茂土居、大谷土居、この辺は豊川地区になりますけど、そして医光寺、万福寺、三宅御土居、七尾城、今市の船着き場、そして中須の遺跡群と。中世益田氏の歴史がまさに益田川沿いに集約されてそろってるわけですね。これはもう皆さん御存じのことだと思いますけど。 そして、時代は変われど、益田川を挟んで、近代日本の夜明けのきっかけとなった維新戦争ですね。
観光、散策という面で、歴史を生かしたまちづくり、そういった中でどのような、あの三宅御土居、雪舟の庭、七尾城とグラントワを結びつけた、また益田川の環境整備とも絡みましてお考えがございましたらお聞きしたいと思います。 ○議長(植木勇君) 牛尾市長。 ◎市長(牛尾郁夫君) 最初に、3市長会議についてお尋ねにお答えをしたいと思います。